聖書に関して




神の言

聖書はすべて神の息吹かれたものです。毎巻が神の啓示で、一つ一つの字、一つ一つの句、みな聖霊の感動によるもので、その正確さは絶対的です。聖書の効用は、(一)主イエスについて証しし、(二)人を賢くし、救いへと至らせ、そして人を再生させる種となり、(三)信者たちの霊の乳、命の食物で、(四)神の人を完全な者とします。

聖書は、わたしたちクリスチャンの生活の中で非常に重要な地位を占めています。地方の立場に立つ教会の中のすべての人たちは規則正しい方法で、御言葉を読むように、一年に一度は通読するようにとさえ奨励されています。私たちは御言を読みます。御言を研究します。そして、御言を祈り読みによって霊的書物として食べます。聖霊から出たすべての教え、霊感、また導きは、御言の中の神の啓示によって吟味されなければなりません。聖書は非常に多くの事柄に関して神の御思いをわたしたちに啓示していますが、わたしたちにとって聖書は第一義的には教理の書ではないのです。むしろ、それはおもに命の書です。私たちは単に知識を求めて御言に来るのではありません。聖書の祈り読みを通して主イエスにふれるために来るのです。そして彼ご自身こそ生ける御言です。
(参照聖句)


新約の神聖な言葉

すべてのクリスチャンが神聖な言葉に関する新約の重要な節をすべて学ぶことを望みます。この御言に関するこれらの重要な数節は、次に挙げてあります。これら節で、まず神の御言は実は神ご自身です。「初めに言があった」(ヨハネ1:1)。ヨハネによる福音書第1章14節で、この言は肉体となりました。神の受肉は神聖な御言の具体化です。御言としての神は具体的表現を必要とします。この具体的表現は私たちの主イエスキリストである生けるパースンです。彼は神の具体的表現であるだけでなく、神聖な御言としての神の具体的表現です。

キリストの務めには二つの部分があります。彼の受肉から復活までは御子の地上での務めです。キリストの昇天の後、彼の天の務めが始まりました。キリスト教における今日の宣べ伝えは、ほとんどこの天の務めに触れません。宣べ伝えられているものは、ほとんど神のよい言にすぎず、義の言ではありません。義の言は固い食物のことを言っており、それはこの地上のキリストではなく、天のキリストのことです。来たるべき時代の力の働きの味わいは義の言とともに来るのではなく、福音の初歩である神のよい言葉とともにあるのです。どうか努力して言葉に関する新約のこれらの節をすべて学んでください。

参照聖句


・Uテモテ3:16,  Uペテロ1:20,21

(一) ヨハネ5:39

(二) Uテモテ3:15 Tペテロ1:2,3

(三) Tペテロ2:2 Tコリント3:1,2 マタイ4:4 エレミヤ15:16 ヨブ23:12

(四) ローマ15:4 Tコリント10:6 Uテモテ3:16,17 ヘブル5:13,14

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学ぶべき御言


マタイ4:4 13:5,26後,44,48,49

ルカ1:2 8:11 14:3 15:7後,35後

ヨハネ1:1,14 5:24 6:63 17:17 18:5,11 19:10,20 20:32

使徒行伝2:41 4:4.31後 6:4,7 8:4,25 11:1,19後 12:24

ローマ10:8,17

Tコリント1:18 12:8

Uコリント5:19後6:7

ガラテヤ6:6

エペソ1:13 5:26 6:17

ピリピ2:16

コロサイ1:5後,25後 3:16 4:3

Tテサロニケ1:8

Uテサロニケ3:1

Tテモテ4:6後 5:17後6:3

Uテモテ1:13 2:9,15 4:2

テトス1:9

ヘブル4:12 5:13 6:1,5 13:7

ヤコブ1:18,21

Tペテロ1:23後,25 2:2

Tヨハネ 1:1後 2:14

啓示録1:2,9 3:8 6:9後 19:13 20:4後



使徒行伝17:11-12

 さて、ここの(ベレヤ)の人たちは、テサロニケの人たちよりも高尚であって、非常に熱心に御言を受け入れ、これらの事がそのとおりかどうかを確かめるために、日ごとに聖書を調べていた。  そこで、彼らのうちの多くのものが信じた。

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