談話室(ティータイム

この人もクリスチャン(1)

   ウィリアム・スミス・クラーク(1826-1886)
       
        Boys, be  ambitious! (少年よ、大志を抱け)

                 

明治政府は、未開拓の北海道開発のために北海道大学の前身、札幌農学校を開設するにあたり、教頭として米国のマサチューセッツ農科大学の学長であったウイリアム・クラーク博士を招きました。1876年(明治9年)731日、50歳で札幌に到着、2週間後の札幌農学校の開校式でクラーク博士は、ambitionの前にloftyという形容詞をつけて「崇高な大志」(lofty ambition)をもって国家社会で重要な役割を果たすようにと諭しました。

 札幌農学校は、北海道開拓のための農業技術者養成を目的としていました。しかし、そこで重視されたのは、技術や知識の習得のに「まず人間の育成でした。校則の制定にあたっても、禁止事項は一切なく、ただ一語「Be gentlemen!(紳士であれ!)、この一言に尽きる」と述べたそうです。彼は、紳士であるための条件は、神の御前で常に良心にしたがって行動することであると考えていたのです。

 彼は、徳育を講じてもらいたいとの要請を受け、そのために聖書を用いようとしたところ、猛烈な反対に遭いました。しかし、クラーク博士は徳育に聖書を用いないなら、何の効果もない、もし聖書を教えることが許されないなら、帰国すると強く主張しました。やむを得ず許可され、聖書が配布されました。

 彼は、毎朝授業に先立ち、聖書の講義をしました。わずか8か月でしたが、彼は崇高な人格と熱烈な信仰によって学生たちに大きな感化を与えました。クラーク博士に直接教えを受けたのは、後に北大初代総長として瀞活躍する佐藤昌介をはじめ、伊藤一隆、大島正健、内田瀞16人にすぎませんでした。一足違いでクラーク博士から直接教えを受けられなかった人たちも大きな影響を受けました。国際連盟事務局長として世界を舞台に活躍を続けた新渡戸稲造、ハーバード大学で博士号を取得した植物学者として世界に知られた宮部金吾、宗教家で思想家として有名な内村鑑三、志賀直哉など、多くの優秀な人材が生まれました。

 彼は日本を去る時、「イエスを信じる者の誓約」を作り、署名を求めたところ、一期生15名は全員これに応じ、さらに二期生18名も署名しました。彼らを札幌バンドと言います。

 彼は帰国する時、見送りに来た学生たちに馬上より「Boys , be ambitious!(少年よ、大志を抱け)という言葉を残して去りました。一説によれば、この後に「in Christ, あるいはfor Christ」がついていたとのことです。大きな志をもっている人間が、目の前の小さな欲、損得にとらわれて悪事を行なったり、勤めを怠ったり、粗暴な振る舞いをするわけがありません。

 クラーク博士が主のもとに召される時、「今、一生を振り返って、わたしには何も誇るようなものはないが、ただ日本の札幌において数ヶ月、日本の青年たちに聖書を教えたことを思うと、喜びを感じる」ともらしたということです。

 
出典:日本福音書房「恵みのことば」第11



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