談話室(ティータイム



      人生を変える一杯

南洋に一つの話があります。猩猩(しょうじょう)(オランウータン)を捕獲する方法は好きな酒を置いておくことです。猩猩は臭いを嗅ぎつけます。子供の猩猩が言います、「お母さん、どこかにお酒があるよ」。「あれはね、わたしたちを捕まえるため人間が仕掛けたわなですよ。飲んだら大変。さあ、帰りましょう!」。「でも、ちょっと見るだけならいいでしょう」と子供がせがみます。「それでは見るだけですよ」。そこで親子で見に行きました。いい匂いがします。「いい匂いね。ちょっとだけ嗅ぐのはいいでしょう」。父は「嗅ぐだけだよ」と言いましたが、自分も好きなので顔を酒に押し付けるようにして嗅ぎ始めました。「ああ、いい匂いだな。ちょっとなめてみよう。なめるだけならいいよ」と我慢し切れなくなって、今度は父の猩猩が言いだしました。「なめるだけね」とみんな言いました。「みんななめました。「ああ、うまい。もうちょっとなめてもいい」。「ぼくも!」。「わたしも!」。「お母さんも!」。「お父さんも!」。「あまり飲むんじゃないよ。一口だけにしよう」。「もう一杯」。「もう一杯」……とうとうみなガブガブ飲みだし、大騒ぎをし、踊ったりしているうち、眠くなって寝てしまいました。さて目が覚めた時は、みんなの手足は縛られて動かせなくなっていたという話です。

だれも大酒飲みになろうと思った人はありません。「一杯だけ」、「ちょっとだけ」、これは何もお酒だけではありません。

酒、タバコ、飲まぬ宗旨ヤソ教は、アーメン道(ああ、面倒)の宗旨なりけり

ある人が皮肉って、酒も飲めない、そんなに堅苦しくては楽しみがないではないかと短歌にしましたが、それを返して次のように歌いました。

酒、タバコ、飲まぬ宗旨のヤソ教は、胸ハレルヤ(心は晴れ)の宗旨なりけり

「一度だけ」、「こんな小さなこと」、「みんなしている」、「だれも見ていない」という誘惑に負けて、一度が二度になり、二度が三度になり、習慣になり、そのうちブレーキが利かなくなり、人生を台無しにしたという話は幾らでもあります。「初めは人が酒を飲み、中ごろ酒が酒を飲み、終わりは酒が人を呑む」ということになります。
しかし、人生を変える別の一杯があります。

 「イエスは答えて言われた、『この水を飲む者はだれでも、また渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して永遠に渇くことはない。わたしが与える水は、その人の内で泉となって、永遠の命へとわき出るのである』」(ヨハネ4:13)。

「この水を飲む者はだれでも、また渇く」……この世が与えるものです。これは、また渇きます。どんなものでもそうです。しかし、「わたしが与える水」……キリストが与えてくださるものは「決して永遠に渇くことはない」のです。そして内側から「泉となって」わき出ます。それは「永遠の命へと」わき出ます。これは人生を変える別の一杯です。

では、どのようにしてこの命の水を飲むのでしょうか?主イエスの御名を呼ぶことです。「主イエスよ、あなたは命の水です。あなたを飲みます!」。こうして御名を呼ぶなら、あなたの内側に命の水が入ってきます。この一杯が、あなたの人生を変えます!

 出典:日本福音書房「恵みのことば」第10



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