談話室(ティータイム

 
    マルチン・ルター
1483〜1546

                           

「宗教改革、ルターは一語『否』と言い」、世界史の勉強のために「一語『否』で1517(いちごいな)と覚えました。有名なルターについては、多くのことがありますが、ここでは簡単に救いに関することだけを取り上げます。

1483年、貧しい鉱夫の子として東ドイツのアイスレーベンで旅行中に生まれましたが、また旅行中にこの町で死にました。その間、この町に住んだことはありません。 

15057月、21歳の夏、ルターが休暇で大学から家に帰る途中、すさまじい雷雨に襲われます。どうしようかと思っているうちに、落雷し、ルターは道ばたに吹っ飛ばされてしまいました。その時、恐怖に襲われ、もう死ぬかと思い、無我夢中でルターは誓いを立てます、「聖アンナ様、わたしをお助けください。わたしは修道士になります」。

1505年、彼はすぐに修道院に入ります。修道院での生活は、一日七回の祈祷(きとう)時を守り、聖書を読み、暗唱し、瞑想(めいそう)し、世の汚れから離れた生活です。しかし、ルターは罪を感じて悩みます。1510年の冬、ローマを訪れ、ラテラン宮殿の階段をひざで上りますが、救いは得られず、幻滅の感を抱いてローマから帰ります。悩みは深まり、悩みは増します。

1512年には神学博士になり、1513年、彼はヴィッテンベルグ大学で聖書講義を始めます。「どこまで善行をすれば神に受け入れられるのか?」、これで十分と言えるものはなく、苦しみは増すばかりでした。そのような時に、シュタウビッツという人から「キリストの傷を見なさい」という言葉をかけられ、その方向で、ルターは聖書を読んでいくうちに、大発見をします。それは福音の発見です。自分の努力でなく、主イエスをただ信じるだけで、義とされることを見たのです。これは彼を大きく変えました。同時に、当時のカトリック教会の間違いが明らかになりました。

15171031日、彼はヴィッテンベルグ城教会の扉に95箇条の討論の題目を張り出し、特に免罪符販売に抗議します。免罪符販売人がヴィッテンブルグに近い町まで来て、「お金がチャリンと音を立てて、この箱の中に入ると、煉獄(れんごく)の魂は天にとびあがる」と言って売り始めたので、これは放っておけないと、福音の光を照らす必要を感じて立ち上がったのでした。

            
 

  
「義人は信仰によって命を持ち、そして生きる」(ローマ117

ルターの立場は「信仰のみ」、「聖書のみ」、「万人祭司」の三点に要約されます。

1.人が救われて神の子となるのは、ただ信仰のみによる。

2.信仰の拠り所は、聖書である。

彼は信仰によって救われるということを聖書から学んだのです。彼はギリシャ語、ヘブル語から聖書をドイツ語に翻訳しました。

3.万人は祭司である。

ちょうど印刷機が発明されたので、福音の真理は急速に広がり、多くの人に救いがもたらされたのでした。

 
出典:日本福音書房「恵みのことば」第14



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