回復に関して


わたしたち「地方の立場に立つ教会」の中の者たちは、神の「回復」のためにいます。「回復」の基本的な定義は、次の通りです。これは、わたしたちの証しを正確に理解するために必要です。
回復という語は、(1)失われていたあるものをもう一度獲得する
            (2)あるものを正常な状態に戻す
            (3)損害または損失を被った後に正常な状態への復旧、または復帰することを意味します。

神がある事柄を回復しておられるということは、教会歴史の過程で、それが失われ、誤用され、腐敗させられたということです。そして、それを神が当初の状態、状況へと回復しておられるということを意味します。教会は数世紀にもわたる歴史を通して堕落してしまったので、神の当初の意図に従って回復される必要があります。教会に関してわたしたちが見たビジョンは、現在の状態や伝統的慣行には支配されません。
神の当初の意図により、また神の御言葉の中に啓示されている不変の基準によって支配されています。わたしたちは、教会に関する新約聖書の啓示を単なる歴史上の事例とは考えません。現在の教会実行の規準と考えます。

神の回復は二十世紀に始まったのではありません。開始の正確な日付を決定することは困難ですが、一応、カトリックの腐敗からの改革の時とすると便利です。回復は改革の時から数回の段階を経て発展しました。ジンゼンドルフ(Zinzendorf)が指導して、ボヘミアで教会生活が部分的に回復されました。プリマス・ブラザレン(Plymouth Brethren)が、数多くの貴重な聖書真理を解明し、さらに内なる命の真正な経験へと進みました。今やキリストのからだの表現である真正な「地方の立場に立つ教会」の確立という段階に達しました。

今日、主は彼の回復の中で二つの事を行なっておられます。キリストのもろもろの豊富な経験すなわち、わたしたちの命としての、またわたしたちのすべてとしてのキリストの享受の回復と、教会生活の実行とを回復しておられます。実際的教会生活は、キリストのもろもろの豊富の享受から流れ出ます。主の回復の中にいるわたしたちは、キリストが計り知ることのできない豊富であり、わたしたちの享受のためのすべてを含む方であることを証しします。そして、神の純粋な言葉の啓示に従って教会生活を実行する負担を、主がわたしたちに負わせてくださったことを証しします。



「地方の立場に立つ教会」、「地方教会」について



「地方の立場に立つ教会」または「地方教会」は一つの名称を持ちません。わたしたちが保持し、あがめるただ一つの名は主イエス・キリストの御名だけです。何かほかの名称をとることは、彼を侮辱することです。「地方の立場に立つ教会」、「地方教会」と言う用語は一つの名称ではありません。それは教会の地方的性質と表現との記述です。すなわち一つの地方に在る教会(the church)です。「地方の立場に立つ教会」、「地方教会」という語を大文字で印刷することは重大な誤りです。なぜなら、これはわたしたちの名称が「地方の立場にある教会」、「地方教会」であるのかという印象を与えるからです。月はどの地方で見られようとも単に月であるように、教会はどの地方で建造されようともただ教会です。

また、「エコノミー」という語は、(エペソ人への手紙第1章10節)ギリシャ語のオイコノミヤから来ています。それは家庭内の案配を意味します。その意味はまた執事の務め、行政、分与、すなわち分与の過程を含んでいます。全聖書を貫いて啓示されている神の永遠のご計画の光の中で見るとき、神のエコノミーとは、教会を産出し建造するために、私たちの中へご自身を分与し込むための神の神聖な案配のことを言っています。

教会がエルサレムに設立されたとき、それは単にエルサレムに在る教会として知られました(使徒行伝第8章1節)。同じように今日東京に在る教会の実際的表現は、単に東京に在る教会です。地方の立場にある教会、地方教会として、わたしたちは真正な一つの立場に立って主の御名の中で集まります。
聖書によれば、人のたてた政府は、平和を保ち秩序を維持するために神によって定められたものです。良心のゆえに、すべてのクリスチャンは市民社会の諸権威に従うべきです。こういうわけで、わたしたちはすべての行政上の諸権威に服し、彼らに従います。わたしたちの国家、県、共同体の中で善良な市民として生活します。わたしたちは、神から定められた人がたてた政府に対して、わたしたちのすべての責任を果たす用意があります。(使徒行伝第17章11,12節 ローマ人への手紙第13章1〜7節)


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